アートの世界において、作品の構成要素を「全体」と「部分」に分けることができるのならば、「部分」は「全体」の中に埋もれているだけの要素でしょうか。「部分」の総和が「全体」とか、「全体」の解体が「部分」というような、単純な加減法での分析や判断では、決してはかることのできない関係といえるでしょう。
「部分」の反復から広がる作品世界
生涯人間の「耳」をモチーフにし続けた三木富雄
彫刻家の三木富雄は、生涯人間の「耳」(それも左耳ばかり)をモチーフに制作を続けた作家として知られています。執拗なまでに一つの主題に取り組み続けた作家の業績に目を向けるとともに、アルミニウムで制作された実物よりもはるかに大きなオブジェを前にした時、「耳」は人体の一部としての属性や機能を離れ、それ自体が自立した「全体」となり、我々を圧倒する芸術作品となります。
「部分」なのか「全体」なのか?
日常に氾濫するイメージを、くり返し刷り出したアンディ・ウォーホル
アメリカのポップアートの巨匠、アンディ・ウォーホルは、キャンベルスープの缶詰、マリリン・モンローの肖像など、日常に氾濫するイメージを引用して、シルクスクリーンで鮮やかにくり返し刷り出しました。ここでは部分それぞれが等価であり、均質で相対的に並列されたスープ缶やモンローに対して、見る者の視点は複数に分散され、部分にも全体にも定まりません。これは、大量生産・大量消費される時代の一部として没個性的な生活を受容せざるをえない社会を表現していると言えます。
美術作品において「全体」と「部分」の関係は、お互いに根底で関連している要素といえます。作品全体から受ける印象を、ただ漠然と受け入れるだけでは、作品の真価を見逃したり、鑑賞の楽しさを失ったりすることにもなりかねません。「全体」と「部分」を意識して作品に接することで、これまでに気付かなかった発見や、異なる魅力に出会えるかもしれません。